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ひとりぼっちは寂しいもんな

【LGBTのT】トランスジェンダーについてどうしてもわからないこと【性自認とは】

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LGBTのT、トランスジェンダー。最近よく取り上げられる身体と心の性自認が違うという話。その話を読むたびにわからないと思うことがある。

「身体は男性だが、自分では女性だと思う」

「身体は女性だが、自分では男性だと思う」

というときの、「女性だと思う」「男性だと思う」という部分だ。ここがわからない。

「女性の自認」「男性の自認」って具体的に何なのか?

=これは女性の自認、これは男性の自認という区別は何をもってするのか?

=なぜそれは女性の自認といえ、なぜそれは男性の自認といえるのか。

=なぜその自認は女性に区別され、男性に区別されるのか?

同じことを言い方を変えて4回いいましたが、そこが本当にわからない。

精神に対して女性か男性かって区別をどうやってするの?マッチョに憧れる精神は男性で、おしとやかに憧れる精神は女性なのか?そんなわけないのはわかる。しかしそれなら何をもって女性の自認といい男性の自認というのかがわからない。アボカドが果物か野菜かは、果物というための条件と野菜というための条件のどちらを満たすかできまる。男というための、女というための精神的条件なんてものがあるのか?あるならきいてみたい。

 

見方を変えてみる。

身体に強烈な違和感を持つということが、身体と別の自認をもつということ?例えば自らの女性の身体に強烈な違和感を持つ場合、そこに女性の自認はなく、男性やその他の自認があるということなのか?本当に?「女性の自認」って何?「女性の体であることへの納得」?「女性の体であることへの納得はないが男性の体であることへの納得があります」という納得の話?納得の話ならば性自認って、身体的な男・女よりもずっと流動的なのでは?「自分のアバターを作るなら男性の体の方が好き」ってこととは違う?どういう感じなのか、うまく想像ができない。

 

ひとつ考えがある。性別欄については、全世界で、「現実として身体に表れている性別のみを答える」こととし、「自分自身をどう思うかという思想を問うているものでは決してない」という注釈をかならずつけるようにすればいいのではないか。履歴書では身体的な性別のみを答えるようにさせ、心がどう自認するかについては問わなければいいのでは?性自認、それは思想と同じではないのか?キリスト教イスラム教、どちらを信じてるか問うてるのと同じでは?

だって履歴書に「キリスト教イスラム教」って書いてて、どちらかに○するのおかしくない?そんなこと問う必要あるんか?何考えてたって自由でしょ。勝手にさせてほしい。それ聞くんなら「アウトドア派・インドア派」のどちらかに○をつける欄もつくればいい。「性自認がこうです」ってこと、聞いてどうすんの?それってアウトドア派かインドア派かを聞くのと同じことではないのか?

もしかすると昔から性別は身体の性別のみを聞いており、新しく「性別欄には心の面まで表されている」という解釈が加わったのはLGBTの話題が取り上げられるようになってからかもしれないが。

 

…と思うんだけど、もちろん私の視野の範囲内でしか語れない。盲目かもしれない。

身体と性自認が異なるんです!っていうのを見ると、逆に身体と性自認が同じってどういう状況なん?それに自信があるのは何故?と思うんだ 教えてこの世のマジョリティ。私にははっきり説明できそうにない。 

筆者は身体的な性と性自認に違和感はないが、何故違和感がないのかというと今までそれで生きてきたからということ以外の理由は思いつかない。明日、「実は性別Aというのは間違いで、あなたは性別Bなんだよ」と言われたら「そうなのか、じゃあそれで。」と思ってしまう気がする。そう決まっているからそう思うだけである。私には性別B、そういう名前がつくんだね、というだけである。「違う!」「違和!」とは思わないような気がする。そうでない人は自分に対し、強烈に男性であるとか女性であると感じているのか?

いいとかわるいを言っているのではなく、純粋な疑問なのです。

しかし性同一性「障害」という名前がついていることには違和感を感じざるを得ない。イスラム教障害とかアウトドア派障害って言ってるのと同じでは?と思ったりします。

 

 

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↑その点トッポって優秀だよね。最後までチョコたっぷりだもん。